「普通は〜」
って会話の始まり。ありますよね?
はたして本当に普通なのか?本当にみんなそう思っているのか?
そう疑問に思ったことはありますか?
僕はあります。
今回は「普通」についての考察です。世の中意外と普通で溢れかえっているので考えてみました。
普通はみんなの普通じゃなく、その人の普通
「普通はこうだろ!!!」
って言いますけど、実際普通じゃないことはザラにある話です。
その人が言った普通はその人の世界の普通です。
もちろんその人が物知りだったら信憑性はありますが、まずそんなことはありません。ちゃんとした統計データがない状態で「普通は〜普通は〜」と言われても信じる気にはなりません。
話に自身がないときの普通
「でもさー普通はこうじゃん!!」
と言う会話をよく耳にします。
別に主張自体に文句はないんですが、「普通は」って言葉は入りますかと。
分析してみるに、こういう人は下記のような人じゃないかと思います。
「自分の言葉には自身がない。だけど、相手に分かってもらいたい。だから「普通」という言葉であたかも多人数が言ってる風にして、話の信憑性を上げよう。」
と思ってる人。
自身がないからとりあえず普通って言っちゃいます。そんな人は自分の言葉で話してくれと思いますね。なんか架空の誰かの代弁をしてる感じがして、聞いてて楽しくないですね。
日本人は主張することが得意じゃないので、主張したくても無意識に曖昧にしたいんじゃないですかね??その変どうにかならないかなーと思っています。そういえば、日本人はリアルでは主張しないけど、匿名だと主張しまくるのだとか。Twitterが日本で流行っているのはそういう背景があるかららしいです。
思考停止の普通
「いや、普通はこうだから!!」
で始まる主張はだいたい思考停止です。
後輩が意見してきたら、こんな事言う先輩がいそうですね。
とりあえず普通ということで、「世間はこうなんだぞ!!」という風にして納得してもらおうと考えているのでしょうが、思考停止ですからー。
ちゃんと聞いてあげて、論理的に返そうねって話です。
全部が全部、「普通はこう!普通はこう!!」と言っていたら何にも考えてないといっても過言ではありません。「普通」という都合のいい言葉に甘えて、考えない言い訳をしてるだけです。
まとめ
普通って言葉は可能性を狭めちゃうなーと考察しました。
考えて以来、僕は普通という単語をあまり使わなくなりました。
どう思いますか??冷静に考えてみると普通って本当に普通なのかって思いませんか?
皆さんの周りも意外と都合のいいように、普通という言葉が溢れかえってるかもしれませんよ?それで勝手に信じちゃってるかもしれません。
もしそうなら、一旦それが本当かどうか疑うことで、新たな可能性が開けるかもしれません。