考察

キラキラネームの定義と境界線。親は頭が悪いのか?

最近YoutubeのABEMAチャンネルでキラキラネームについて議論する動画を見た。

毎度お馴染みのひろゆきさんが出ていて、他の参加者の意見も納得いくものが多くて面白かった。

これを見て自分もいろいろと思うことがあったので、自分なりの分析をしていこうと思う。

読めない名前の子供の親は頭が悪く、遺伝により子供も頭が悪い

ことの発端はひろゆきさんのtwitterでの発言。

簡潔に言うと、「読めない名前の子供の名付け親は頭が悪い。遺伝により子供も頭が悪い」という主張だ。
子供が遺伝で頭が悪くなるという研究があるため、この主張は間違っていないが全員がそうというわけではない。可能性が高いという話だ。
なので、遺伝云々の話は今回おいておいて、読めない名前について考えていきたい。

ひろゆきさんは読めない名前はデメリットがあるから、それを付ける親は頭が悪いと言っている。個人的には納得のいく主張で間違っていないと思った。

読めない名前には以下のようなデメリットがある。

  • 会社の採用で落とされやすい
  • 名前を伝える時に時間的なロスが発生する
  • 医療の現場のような緊急を要する場合に、本人を特定しづらくなる


しかし、番組では以下のようなメリットも提示している。

  • すぐに覚えてもらえる
  • 親から子への思いを感じる

どちらの主張も納得がいく。

ただし、デメリットを付けてまでこれらのメリットを取るかという話である。デメリットがある名前をわざわざ付けるのだから、名付け頭が悪いという話は割と納得がいくが、それを見越して名付ける親もいるので完全にそうとは言い切れない。

自分としては本人が納得していれば構わないと思うが、デメリットのせいで嫌がる可能性もあり、最終的に名前を変える人もいるのでできる限りつけるべきではないように感じる。番組内でもここに関してはデメリットを認めた上での議論が展開されている。

読めない名前とキラキラネームは違う

番組を通して見ると読めない名前やキラキラネームに関して論点がいろいろあったので、ここからは自分なりにまとめていく。

番組では読めない名前とキラキラネームは分けるべきだと言っている(というよりそこがあやふやだから議論がまとまらなかったとも言える)。

読めない名前だからキラキラネームというわけではないし、キラキラネームだから読めないというわけでもない。キラキラネームがそもそも何なのかという定義は次の章で書くとして、まずは例を見ながら話を進めていきたい。現時点ではとりあえず「キラキラネーム=突飛な名前」程度に考えて欲しい。

例えば「康正」という名前は「やすまさ」「やすただ」「こうせい」と読める。推測はできるが本人に聞かないとわからないタイプ。
また、「育心」のようなタイプ。「いくみ」と読むらしいが、実は「心」には「み」という読みが元々存在する。この場合は一般教養で教わらないため読めない。
あとは「光宙」で「ぴかちゅう」のようなタイプだ。まず読めない。
これらの違いを自分なりに考察してみた。

まず最初の2タイプは読めない名前かもしれないが、完全にそうとは言い切れない。なぜなら元々の漢字の中にその読みが存在するからだ。たとえ初見で読めなくても、そういう読み方があるとわかれば納得がいく。何の問題もない。

問題は3つ目だ。完全に当て字だ。明らかに漢字と読みが乖離している。「光」は「ぴか」と読まないし、イメージに過ぎない。読めないし、今やキラキラネームの代表として扱われている。では当て字だけがキラキラネームかと言われればそうではない。キラキラネーム一覧を調べてみると「寿絵莉(じゅえり)」という名前を見つけたが、当て字ではなく一般知識で読める。ではどこでキラキラネームの線引をするべきか?

キラキラネームの定義

まず、キラキラネームは人によって感じ方が違う。番組でも専門家がそう話している。ただそれだと考察が進まないので、よくキラキラネームとして取り上げられる名前からどうにかパターンが作れないか考えてみた。その結果、いくつかパターンが見えてきた。とりあえず以下の要素を定義としておきたい。ただしこれらは0か100かで判断するものではなく、あくまで評価軸とする。なので1つだけ当てはまっていてもその要素が強ければキラキラネームと判断されてしまうし、全て当てはまっていても全ての要素が弱ければそれではないと判断できる。

  • 現時点での社会的認知度がない
  • 漢字から読みが推測できない
  • 既に別の対象に名前が設定されている

順番に説明する。

現時点での社会的認知度がない

番組内で専門家が言っていたが、90年代以降特殊な読み方が増えた。そこから読みにくい名前も増えたらしい。90年代の当時の特殊な名前が今のキラキラネームの域に達していたかは明確ではないが、世間的にも受け入れがたい状態ではあったらしい。
しかし2021年の今、それらの名前は一般に浸透したという。要するに言葉は変遷するもので、名前も例外ではないということだ。そう考えれば、現時点で馴染みのない名前がキラキラネームといわれても、それは一時的に過ぎないと言える。結局のところ聞き覚えのない名前であれば、キラキラネームと思われる期間が存在してしまうのかもしれない。

漢字から読みが推測できない

これは当て字が当てはまる。
先程も述べたとおり「光」は「ぴか」ではない。「泡姫」で「ありえる」とも読む名前もあるらしいがまず読めない。読めたとしても一般教養というよりはセンスや直感から来るものだろう。こうした一般教養で読めない当て字の場合に、キラキラネームと判断されてしまうのではなかろうか。

既に別の対象に名前が設定されている

これは名前からその人物を特定できないパターンだ。
例えば、「えくれあ」という名前あったとする。それが名前を指しているとしても、一般的にはそれは食べ物を意味する。「ぴかちゅう」も同じで、先程の当て字パターンとこのパターンが含まれている。「ピカチュウ」はもはや国民的キャラクターになっているので、ほぼすべての人が電気ポケモンの方を連想するはずだ。おそらくこのギャップが大きければ大きいほどキラキラネームと感じる可能性があるとみている。

キラキラネームの線引き

ある程度の定義軸を示してみたが、個人によってどこまでがキラキラネームでどこまでが違うかはバラバラだ。
社会が決めることで明確に定義などできない。一般に浸透している名前とキラキラネームの境界線は曖昧になってしまうのだ。

それを示した図を書いたので参考にして欲しい。

キラキラネームを付けても良いのか

個人的な見解を述べていく。自分としてはやはりキラキラネームはメリットに対してデメリットが大きいと思うので勧めたくはない。
ただし、番組でも述べていたとおり、それを踏まえて名付けたい意志があるのであれば問題はないと思っている。そして問題はその後で、専門家が言う通り、親と子で名前についてよく話し合いを行うことが大切だ。こういう意味があって名付けたという意志を子供に伝えることで、子供が自分の名前に納得するきっかけになるからだ。もしそれでダメであればそれまでということだ。

キラキラネームは親ではなく名付けられた子供の問題

キラキラネームを付けた親がどうたらという話から始まったが、結局は名付けられた子供がどう思うかだと自分は思っている。
番組でもキラキラネームでも誇りを持っている人はいるという。正直それは良いとおもう。しかし、裁判所で名前の変更をし、親を恨んでいる人もいるのが現実だ。また、本人が納得していても世間的な風当たりが悪くなる可能性だってある。ならばそれを認めてくれる環境に身を置けばいい話だ。なんにしろ、大人になって自分で名前を変更できるところまで達せれば、そこからは自己責任だ。もしそれまでの期間で不利な思いをしたのであれば親を恨まざるを得ないだろう。そう考えれば名前を付けることは自分たちが思っている以上に覚悟のいる行為なのかもしれない。

まとめ

デメリットがある以上、キラキラネームを付けた親は頭が悪いと言われても仕方がない。もちろん全員がそうではないが大多数が悪いだろう。

キラキラネームを付けた親には責任がつけまとう。子供が納得するかもしれないが、恨まれる可能性も十分にあため、親子で名前の由来についてよく話し合うことが重要である。

キラキラネームによるデメリットがあっても、本人が納得できれば問題ない。嫌であれば権利なので全然名前を変えて良い。

以上です。ありがとうございました。

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